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母を愛する気持ちと、母から愛されたいという願い。
その想いは、知らないうちに「人に振り回されやすい生き方」につながっていました。
20年にわたるうつとの時間を経て
母が大好きだった私
私は小さい頃、母の気配を求めて、いつもそばにいたがる子どもでした。母は家事をしっかりとこなす人でした。けれども私が求めていたものは、整った環境よりも「私の話を聞いてくれる時間」でした。
心から安心して甘えたり、本音を出したりする感覚が育ちきらないまま、私はいつの間にか、母の顔色を読むようになっていました。
適応しようと頑張って、自分を見失った時期
成長するにつれ、何をしても心から満たされたと感じることがなくなって行きました。周囲に合わせることはできても、「これが私」と言える感覚がありませんでした。
大学では部活に入りましたが、役割や人間関係の中で動くことに息苦しさを感じていました。4年生のとき、何かを変えたくて留学を決意し、部活を退部しました。
その頃から、「私はどう在りたいのだろう」と思うようになりましたが、答えは見つからず、次第に孤独感が強まり、少しずつ人と距離をおくようになっていきました。
父親の自死
帰国後に就職すると、父は時折、私の帰りに合わせて車で迎えに来てくれるようになりました。そこで交わす何気ない会話は、私にとって大切な時間でした。
ある日、仕事帰りに父から電話があり、一緒に帰ることにしました。その翌日、父は自ら命を絶ちました。
信じられませんでした。
一ヶ月後の私の誕生日には、父からプレゼントが届く気がしていました。父の携帯を鳴らし、「もう一度だけ会わせてほしい」と願っていました。やがて仕事にも行けなくなり、深い空虚感だけが残りました。
母を守ると決めてから
父を失った母は、朝からお酒を飲むようになり、「早く死にたい」と口にするようになりました。私は、「絶対に母を助ける。幸せにする」と強く誓いました。
けれどもこの決意は、母と私の共依存という関係を生み、自分自身を生きることから、さらに遠ざかっていくことになりました。
助けを求められなかった私
うつを発症し、人と会うことが苦痛になりました。死ぬことも生きることもできないような感覚でした。
カウンセリングを受けましたが、父の死を受け入れるのが怖くて、自分の口から語ることができず、毎回、沈黙が続きました。
「誰かに分かってほしい」と思いながらも、現実と向き合うことが怖く、助けを求められませんでした。
「生まれてこなければよかった」と母に言ってしまい、母を泣かせたこともあります。やがて心療内科で薬を処方してもらうようになりました。
結婚・出産、そして孤独
その後、結婚して二児に恵まれました。しかし子育ては想像以上に大変でした。
夫の転勤で住み慣れない土地へ移り、頼れる人もいない中で孤独は深まっていきました。遠方の母からは毎日電話があり、私は支えであり続けようとしていました。その思いが自分を苦しめているとは気づかないまま、眠れない日々が続き、自分の苛立ちを子どもにぶつけてしまうこともありました。
夫の病気や環境の変化も重なり、本音を話すことも、助けを求めることもできないまま、再び薬に頼るようになりました。
断薬までの葛藤
薬は悲しみや苛立ちを和らげてくれました。けれど同時に、喜びや感動も感じられなくなっていきました。
美しい景色を見ても心は動かず、子どもの成長にも感動ができない。
それでも心のどこかで、「せっかく生まれてきたのだからここから抜け出したい」。そう願っている自分がいました。
出会いと気づき
そんな時、図書館である一冊の本を手に取りました。そこには、無意識に植えつけられた美徳や規範が、生きづらさを生むことがあると書かれていました。
「これは私のことだ」と強く感じました。
自分の置かれている状況が少しずつ理解できてくるようになると、あれほど好きだった母に対する怒りが込み上げ、戸惑いと苦しさを覚えました。
そしてカウンセリングを受けに行きました。
カウンセリングの中で気づかされたのは、「母を愛する気持ちと、母から愛されたい願いのあまり、自分の本音を見ないようにしてきた」こと。感情をごまかし、母を守ることを最優先に生きてきたということでした。
私はいつの間にか、相手の欲求に反応する存在になっていました。「嫌われないように」「見捨てられないように」相手を優先することが、私にとっては無意識の習慣になっていたのです。だから「自分がどうしたいのか」が、全く分からなくなっていました。
そこから、なかったことにしてきた怒りや悲しみと向き合う時間が始まりました。当時の私は、怒りを「悪い感情」だと思っていました。けれど実際には、怒りの奥には、ずっと我慢してきた悲しさや、「本当は苦しかった」という声がありました。
何ヶ月にもわたり、涙が止まりませんでした。夜中に抑えきれない怒りがこみ上げ、感情を持て余す日々もありました。それほどまでに私は、長い間、自分の本当の気持ちを押し込めて、正しさを優先してしまっていたのだと思います。
やがて自分を少しずつ取り戻し始めた頃、ようやく父の死と向き合う準備が整いました。これまで感じることを拒んできたショックや絶望を、生きるために、きちんと感じきろうと覚悟を決めました。そう思えたのは、出会ったカウンセラーに、本音を否定せず受け止めてもらえたからでした。私は初めて「本音を感じても大丈夫なんだ」と思えるようになっていきました。
感情を抑え込むのではなく、その奥にある本音を理解していく中で、少しずつ自分との関係が変わっていったのです。母を守ろうとしていた背景には、怒りだけではなく、母を愛する気持ちや見捨てたくない優しさがありました。けれどその優しさは、いつの間にか自分を後回しにする役割にもなっていました。母を支えることが、私にとって当たり前になっていたからこそ、自分を優先することには、大きな罪悪感が伴いました。
自分を愛せるようになるまで
父の死と向き合う中で、私は義母のある言葉にも大きく傷ついていました。笑いながら言われた「自殺する人って迷惑よね」という一言。その言葉は長く耳から離れず、人を信じることが怖くなりました。
そして私は、「父の死を自分の弱み」だと思い込んでいたことに気づきました。だからこそ、「この人には弱みを握られたくない」と強く反応していたのだと気づきました。
現実を受け入れ、他人の言葉ではなく、自分自身を信じられるようになるために、私は長い時間をかけて、自分の感情と向き合いました。そして少しずつ心がほどけていくのを感じました。
「きっと10年後には自分は元気になっている」そう思っていた時期もありました。
けれど、我慢することに慣れていた私は、絶望を感じるまで、自分の本音を感じることを許さず、時間が経つだけで何も変わりませんでした。気づけば20年以上、心の不調を抱えていました。それでも、自分を取り戻していけたのは、感情を否定せずその奥にある本音を理解していくことを、諦めなかったからだと思います。以前は感じられなかった、穏やかな安心感や、ありふれた日常のありがたさを、少しずつ感じられるようになっていきました。
今では、苦しみの原因を外側だけに求めるのではなく、自分の内側にある感情や思い込みと向き合うことの大切さを感じています。過去の自分が歩んできた道も含めて、「これでよかった」と思えるようになりました。そして「人には本来、自分を癒そうとする力がある」という考え方に深く惹かれ、憧れていたホメオパスへの道に進みました。
人に言えない苦しみや、生きづらさを抱えている方に、「人は、本音を取り戻していくことで、少しずつ自由になっていける」ということを知っていただきたくて、オンラインカウンセリングを始めました。
お伝えしたいこと
私は「感情には良いも悪いもない」と感じています。悲しみを押し込めれば、喜びも感じにくくなります。怒りを否定すれば、自分の大切な声も遠ざかってしまいます。
自分を助けるために、抱えている思いを安心して吐き出せる時間を、どうかご自身に与えてほしいと願っています。
自分の感情と向き合い、労わり、そして少しずつ許していくこと。それは、自分を愛することにつながっていきます。
人に言えないような話でも、誰かにただ共感してもらえるだけで、楽になる瞬間があります。その小さな安らぎが、人生を動かす力になることを、私は体験してきました。
誰かの苦しみが少しずつ軽くなることが、やがて周りの人や次の世代にもつながっていく。私は、そんな時間を届けていきたいと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
なお、私はカウンセリングとは別に、自然療法としてホメオパシーにも取り組んでいます。
ホメオパシーを通して、心・身体・環境を切り離さずに見る、ホリスティックな視点を学んできました。
この学びは、現在のカウンセリングにおいても、人の苦しみや回復を多面的に理解する視点につながっています。
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